「海峡のアリア」コンサート 声なき声を 届けたい

田月仙(チョン・ウォルソン)さん
「海峡のアリア」コンサート 声なき声を 届けたい
日本と韓国のかけ橋として

近頃、国境付近が騒がしくなっています。しかし問題は冷静に理を尽くして外交的努力で。日本の侵略戦争と植民地支配によって隣国の人びとがどれだけ苦しみを味わったことか…。その事実を受け止め反省の上に立って、お互いをもっと知りあい仲良くやっていきたいものです。世界の舞台でオペラ歌手として活躍する一方、歌で朝鮮半島と日本のかけ橋になりたいと活動をする在日コリアンのオペラ歌手、田月仙さんの思いは−。

母や父の思いを伝えたい

 「とくに母が亡くなってからは母や父のこと、日韓の狭間で名もなく犠牲になってきた人たちの思いを、何かの形で残さねばと、全身全霊で『海峡のアリア』を書き、歌を通してそれを伝えなければという気持ちで、同じタイトルでリサイタルをつづけています」
 かつて日本の侵略戦争と植民地支配の下、朝鮮半島からたくさんの人びとが日本に強制連行されました。旧制中学に通っていた田月仙さんの父も、勤労動員で日本へ。幼い頃、親を訪ねて日本に渡った母は、学校にも行けず8歳から働きに出て、結婚後も廃品回収のリヤカーを押し、がむしゃらに働いた…。働きづめでも、時間を見つけては日本の民話や歌を聞かせてくれた母は、前夫との間の4人の息子たちが1959年から始まった在日朝鮮人の帰還事業で北朝鮮に渡ると、身を案じながら一生苦しみの中で亡くなりました(息子たちは日本のスパイ容疑で強制収容所に捕らわれ過酷な運命を強いられた)…。
「なぜこんなにいつまでも引き裂かれて、悲しみを背負っていなければいけないのか。叫びたくなるほどの気持ちになりました。韓国の古い歌には、母や見たちの患いが乗り移ったようなものもありましたから、コンサートで選曲しているうちに、わたし自身もこれは単なる歌ではなくて、母や父、わたしの出会った数多くの方たちの歌なんだと感じるようになって、祈るように歌うようになりました」

 二つの故郷

 最近は、とくに日本と朝鮮半島、"二つの故郷"という気持ちがつよくなってきた、と田月仙さん。85年に北朝鮮に招待され歌い、94年には韓国でオペラ『カルメン』に主演、南北で絶賛されました。
 「北も南もほんとうに愛する祖国なんだと思いましたけど、逆に日本をふり返ってみたときに、ほんとうにつらかった時期に支えてくれた日本の人びとのことが思われ、"わたしは両親の朝鮮半島のいろんなものを受け継いでいるけれど、日本にも育てられたんだ"と二つの故郷に対する愛がすごく深くなりました」
 ピアノと最初に出会った幼稚園のとき。ピアノを弾かせ、ほめてくれた先生。父は無理をしてピアノを買ってくれた…。ところが高校2年生のときに父の事業が失敗。夜逃げ同然の引っ越しの中、一人残って高校を卒業し音楽大学をめざします。お世話になった朝鮮人のハルモニ(おばあさん)。パブレストランでピアノの弾き語りや練習までさせてくれたバイト先のママ。ピアノの先生…。当時朝鮮学校は高校卒業資格がなく、願書を出す段になって受験できないとわかり途方に暮れたときも、唯一門戸が開かれていた桐朋学園大学の存在を日本の音楽関係者が教えてくれました。

禁じられた歌

 「何とか日本と朝鮮半島のかけ橋になろうと思っていた私に東京都の親善大使として初めてソウルで日本の歌を歌う役割が回ってきましたが、まだ解禁されていないというので、『夜明けの歌』を歌うことができなかった(1998年)。歌が禁じられたのはなぜだろうと朝鮮半島の歴史をひも解いてみると、日本の植民地時代に自分たちの文化や言葉が抑圧されたその痛みが根強く残っていて、まだ拭いされない思いがあったんだと学びました。でも『ブルー・ライト・ヨコハマ』はみんな知っていた、歌は不思議だなあと思います。そんな中で日本の歌のよさを吸収していた人たちが、その後Kポップを育てる力になっていったんです」2冊目の『禁じられた歌 朝鮮半島百年史』はそんな音楽研究から生まれました。

文化の力、歌の力

 02年、日韓ワールドカップの閉幕式翌日、首相官邸で催された金大中韓国大統領歓迎公演では、「オペラ好きの小泉元総理から首相官邸で歌う役割を担わされました。韓国からの芸能人もいる中でわたしが日本と韓国の歌を独唱した。そのときに思ったんです。どちらの歌も故郷の歌として歌えるのは、在日コリアンのわたししかいないんだ、がんばってきてよかったと」
 今回のコンサートの聞き所は「アリランメドレー」です。「会いたい人に会えなくて峠を越えて会いに行きたいという哀愁を込めた歌として知られていますが、朝鮮半島にはメロディーも歌詞も違うアリランが何百種類も。その地域ならではのアリランを味わってください」
 歌手生活30年を前に、「いま急速に韓国の文化を日本の人が受け止めていますが、昔じゃとても考えられません。文化の力、歌の力は、海峡も超えるすごい力があるんだなあと思いました。日本と朝鮮半島、ほんとうにむずかしい問題がまだまだ多いですから、微力ながら歌を通して力になっていきたいと患います」

 

2012/10 新婦人しんぶん

Chon Wolson officilal Website www.wolson.com