月刊現代
本のエッセンス(GENDAI April 2007)
『海峡のアリア』  田月仙((チョン ウォルソン)著
金日成の前でアリアを絶唱した歌姫の衝撃の半生  野村 進[ノンフィクションライター]

率直に申せば、敬遠したい本であった。在日のオペラ歌手として知られる著者のマスコミへの露出の仕方が、よくいる「在日を売り物にしている文化人」の一人のように、私の目には映っていたからである。したがって本書を手にしたのは、不遜ながら、在日コリアンを取材してきたジャーナリストとしての関心からにすぎない。案の定、自己顕示が端々にのぞく。
「舞台を所狭しと縦横無尽に飛び回った」などという、本人が書いては鼻白む表現も散見される。
しかし、そんな瑕瑾(かきん)を吹き飛ばしてしまう凄まじい訴求力がある。本書は第十三回小学館ノンフィクション大賞の優秀賞に選ばれたのだが、大賞を逸した理由がわからない。
歴代の受賞作と比べても、読者の心を揺さぶる力は無類ではあるまいか。
著者の母には、実の娘にも言えない秘密があるようだった。父がいないときに限って、ひとり古ぼけた写真を食い入るように見つめている。やがて著者は知る。その写真に写っているのは、母が父との再婚前に結婚していた男性とのあいだに生まれた四人の男の子で、彼ら異父兄が一九五〇年代末からの「帰還事業」により、全員北朝鮮に渡り音信不通になっているということを。
ここから物語は大きく動き出す。
母は北朝鮮を訪問し、四人の息子たちが無実のスパイ容疑でそろって強制収容所に送られ、次男は「殺された」ことを、痩せこけた三人の息子から聞く。悲嘆にくれた母が、自ら髪の毛を切って息子たちに手渡し、次男の墓に埋めて「せめて母親の匂いだけでもかぐように」と言う場面には、胸つぶれる思いを禁じえない。
著者もまた他日、北朝鮮で兄たちとの四半世紀ぶりの再会を果たす。ところが、それは当時の金日成主席の誕生日を祝賀するコンサートに招かれたおりなのだ。ご満悦な表情の金日成の前でアリアを絶唱した直後、舞台の袖に引き下がった著者は、暗闇の中で、オペラ「トスカ」の、「この男の前にローマ中が震えていたのだわ!」という台詞(せりふ)を呟(つぶや)く。「トスカ」は、著者と再会したとき「まるで暗闇の中にいる動物のように」目を異様に光らせていた長兄が好きだと言っていたオペラなのである。このシーンなど、たとえるのも憚(はばか)られるのだが、シェークスピア悲劇の一幕を見ているかのようだ。
ついに北朝鮮から戻れずに亡くなったこの長兄が、著者に託した母宛ての手紙が、引用されている。
「私はどんな逆境の中でも、善と悪とを見抜くことができる、また正義のためなら命を捧げることもできる、そういう意志を育ててくれた、愛する私のお母さんに、心から感謝しています」
この一節に、私は不覚にも落涙した。本書には、母親が生前テープに吹き込んだ自伝も収録されている。つまり、戦後在日史の「最大の悲劇」と呼ばれる帰還事業について、著者と母と兄が、一冊の中でそれぞれの立場から本音を語っているのである。これは実のところ、きわめて稀な例だ。
本書はオペラ歌手の独り語りと思いきや、そうではない。著者は、埋もれた韓国の歌を掘り起こし、わざわざワシソトンまで在米コリアンの作曲者を訪ねたり、『鉄道唱歌』のような日本のメロディが、歌詞を変えて南でも北でも歌われていた事実を調べ歩いたりし、それが結果的にノンフィクション取材と同じ成果をもたらしている。
韓国での日本文化開放決定、金大中と金正日との南北首脳会談、日韓共催のワールドカヅプ、そして北朝鮮による日本人拉致の発覚……。ここ数年だけでも、日本と朝鮮半島とのあいだには大事件が相次いだ。そのたびに著者は激しく揺り動かされ、在日の表現者として前面に立とうとする。それをときに売名のように見ていた自身の不明を、私は恥じなければならない。
日本人拉致の発覚後、著者は衝撃のあまり歌えなくなった。それが横田めぐみさんの両親が来ているコンサートでも歌えるまでに回復した頃、最愛の母が亡くなる。母の最期の言草は、ただひとこと「悔しい……」であった。
何という遺言であろうか。